こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『MOTHER/マザー』。日本を代表する女優である長澤まさみさんの主演作です。意気揚々と観に行きましたが、なかなかどうしてよろしくない映画でしたね……。最初に行っちゃうと個人的にはあまり好きじゃないかなと......。


それでは感想を始めたいと思います。けっこうな酷評なので、それが嫌な方はどうか読まないことをお勧めします。いつにも増して書き殴っただけの拙い文章なので、そちらにもご注意ください。




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―目次―

・俳優さんたちの演技がほとんど唯一の長所
・ブレないキャラクターに人間味を感じられなかった
・悲惨な目に合わせれば、堕落していけばリアリティが出るなんて大間違い





―あらすじ―

シングルマザーの秋子(長澤まさみ)は、息子・周平(郡司翔)を連れて、実家を訪れていた。その日暮らしの生活に困り、両親に金を借りに来たのだ。これまでも散々家族からの借金をくり返してきた秋子は、愛想を尽かされ追い返されてしまう。金策のあてが外れ、昼間からゲームセンターで飲んだくれていた秋子は、そこでホストの遼(阿部サダヲ)と出会う。二人は意気投合し、遼は、秋子のアパートに入り浸るようになる。遼が来てから、秋子は生活保護費を使い切ってしまうばかりか、一人残した幼い周平を学校にも通わせず、遼と出かけたまま何週間もアパートを空ける始末だった。
周平が残された部屋の電気もガスも止められた頃、遊ぶ金がなくなった秋子と遼が帰ってきた。二人は、以前から秋子に気があった市役所職員の宇治田(皆川猿時)を脅して金を手に入れようとする。だが、遼が誤って宇治田を刺し、一家はラブホテルを転々とする逃亡生活を余儀なくされることに……。

そんな中、秋子が妊娠した。だが父親が自分だと認めない遼は、「堕さない」と言い張る秋子と周平を残して去っていく。ラブホテルの従業員・赤川(仲野太賀)と関係と持ち、敷地内に居候をつづける秋子は、周平を実家へ向かわせ金を無心するが、母の雅子(木野花)から今度は絶縁を言い渡されてしまうのだった。
5年後、16歳になった周平(奥平大兼)のそばには、妹の冬華(浅田芭路)がいた。秋子は定職にも就かずパチンコばかり。一方、周平は学校に行くこともなく、冬華の面倒をみていた。住む家もなくなった三人に児童相談所の亜矢(夏帆)が救いの手を差し伸べ、簡易宿泊所での新しい生活がはじまった。亜矢から学ぶことの楽しさを教えられた周平は、自分の世界が少しずつ開いていくのを感じていた……。

母と息子は後戻りのできない道へ踏み出そうとしていた———。

(映画『MOTHER/マザー』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください












・俳優さんたちの演技がほとんど唯一の長所


この映画を観終わった後、私に湧いてきたのは怒りにも似た感情でした。はっきり言って、深刻そうに見せかけているけど全然浅いなと思ったんです。認めない認めてたまるかとさえ思いました。今年観た映画の中でもちょっとワーストの方に位置する映画かもしれないです。


それでもこの映画にも良いところはあって。それは俳優さんたちの演技です。ここはメインに日本有数のキャストを揃えていて、文句などありません。今年公開される邦画の中でも間違いなく上位に位置するでしょう。


まずは何といっても主演の長澤まさみさんですよ。出る映画出る映画でヒットを飛ばす日本一のヒットメーカーですが、それは確かな実力に基づいたものだとこの映画で証明。全く弁解の余地のない毒親を演じていますが、口調の使い分けや虚無を表す瞳で十二分すぎるほど表現。静かに脅す口ぶりからは底知れない怖さが滲み出ていて、立ち姿にですら畏怖を感じてしまいます。


もうすぐ公開される『コンフィデンスマンJP』とは(多分観ないけど予告編を見る限りでは)正反対の演技をしていて、演じられる役の幅広さに感服する思いです。(やたらと太ももを出してましたけど、あれは大森監督のフェチですか?)


また、周平を演じた奥平大兼さんは、この映画が初出演と言うことで、擦れていない雰囲気が良きでした。母親である秋子から虐げられて、自らの意志を出せなくなった周平をおずおずとした佇まいで表現。台詞の一言一言に、苦渋が満ち溢れていました。良い意味で秋子の分身、操り人形であることが窺える演技でしたね。


さらに、遼を演じた阿部サダヲさんはもう安定の演技ですよ。あれだけブチギレた後にヘラヘラできる俳優さんは他にいないのではないでしょうか。時折見せる刺すような口調がこちらをもドキリとさせます。一分の隙もないクズ男を清々しいほどに全うしていました。


他にも皆川猿時さん(使い捨てられっぷりに泣ける)、仲野大賀さん(こんな濃い顔だっけって思った)、木野花さん(叫ぶおばあちゃんはさすがにハマる)など魅力的な俳優さんたちが大勢出演していましたが、個人的に好きだったのは亜矢を演じた夏帆さんですね。


予告編で見たときから良いと思ったんですよ。あのおいてけぼりの表情。今までどちらかというと自然的なイメージがあったんですが、この映画では不自然なぐらい人工的で、この変わり身はどういったことだろうと思ってしまいます。ラストシーンも(シーン自体は)ずば抜けて良かったですし、なんか最近私の中で夏帆さんがブームになっている気がします。観ていて「夏帆論書きたいな」と思ってしまったぐらいです。それくらい良いです。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











・ブレないキャラクターに人間味を感じられなかった


とここまで俳優さんたちを褒めちぎってきたのですが、お気づきでしょうか。「全く弁解の余地がない」「秋子の分身、操り人形」「一分の隙もない」「不自然なほど人工的」と、キャラクターを一つの型にあてはめる表現が用いられていることに。そうなんです。この映画が一番ハマらなかった個人的な要因はキャラクターにあるんです。


秋子は、自分の気の向くままに暮らす女性。仕事をする気も一切なく、パチンコに明け暮れ、苦しくなったら臆面もなく金をせびる同情の余地のないキャラクターです。周平は秋子の呪縛から逃れられず、言いなりになるしかない。遼は借金を踏み倒すクズ男だし、亜矢は曇りのない心で周平と冬華を助けようとする存在。それは別に良いんです。でも、問題だなと思ったのがキャラクターが一面的に見えてしまったことです。


本来、人間ってもっと複雑な存在だと思うんですよね。良い面と悪い面の両面があると思うんです。でも、この映画はキャラクターの片面しか強調しておらず、どこか人形のような印象があります。観ていて失礼ながら「大森監督、『セーブ・ザ・キャットの法則』ってご存じ?」と思ってしまいました。


この『セーブ・ザ・キャットの法則』というのは、ハリウッドの有名な脚本術の本です。まぁ実を言うと私も読んだことはないのですが、なんとなく理解はしていて。不良が猫を助けるとキュンとなるっていうアレだと思ってるんですけど、要するに両面を描けっていうことなんですよね。良い面と悪い面の。この映画ってキャラクターの一面しか描いてなくて、『この女、聖母か、怪物か』みたいなキャッチコピーがありますけど、映画を観る限り、話の上では秋子の聖母感はゼロですよ。


それに、キャラクターがあまり悩んだり迷ったりしないことも少し問題かなって。全くブレないから、次にどんな展開が来るかなんとなく分かってしまうんですね。「このキャラクターならこうするだろう」というのが百発百中で当たってしまうんです。勘の鈍い私ですら、橋の上のシーンになった瞬間に「これは祖父母を殺す流れだな」と気づいてしまいましたし、最後の周平の告白も「お母さんがどうのこうの言うんだろうな」と思ったら、これも当たり。


要するに、話に意外性がないんです。よくキャラクター作りの上ではブレないことが強調されますけど、あまりにブレないとかえって遠く感じてしまうんだなと。実際の人間はもっとブレるし、悩むし、迷う。実話ベースと言っておきながら、キャラクターに人間味が薄いのは大きな問題だなと思いました。もしキャラクターに深みみたいなものが感じられたのなら、それは100%俳優さんの功績であって、もうちょっと脚本でキャラクターの人間味を見せてほしかったなと思ってしまいます。


でも、これらはきっと意図的なものでしょう。そうしてあえて遠く離れたキャラクターにすることで、彼ら彼女らがそれほど追い詰められていた、視野狭窄に陥っていたということを表現したかったのかもしれませんし、実際その試みは成功しています。ただ、あまりにフィクションを感じてしまったので、この演出は個人的には認めたくはないですけどね。



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・悲惨な目に合わせれば、堕落していけばリアリティが出るなんて大間違い


それにお話にも少し問題ありだと思います。順を追ってみていきましょう。秋子と周平は親子二人暮らし。ですが、秋子は自堕落な生活をしており、両親に金をせびるも拒否されます。ゲームセンターで遼と出会ってからは、周平を置いて二人で名古屋に出て行ってしまいます。この周平が一人でゲームをするシーンは嫌でも『誰も知らない』を思い出させますね。観ていて一番キッツイなと思いましたし、この感じで行ってくれれば期待できると思ったんですけどね......。


秋子と遼と周平は事情があり、どこかの海辺の町へ越します。ただ、その事情がさほど深刻ではなかったことを知ると、秋子と遼はケロッと元の町へとんぼ返り。ラブホテルで暮らす日々を送ります。ここのラブホテルのオーナーを秋子が誑かすシーンは、まさに魔性の女という感じで良きでした。ただ、問題はここからです。この後に挿入されたシーンが致命的でした。


ここで、周平は父親と会うんです。この父親が取り付く島もない状態だったらまだ良かったのですが、周平のことは今でも大事に思っているし、秋子にも養育費と称してお金を入れています。抱きかかえるほど周平のことを愛していますし、いやもう父親の方行った方が絶対良いじゃんというのは誰の目にも明らかです。それでも周平は秋子を選ぶ。それは共依存と称された精神的な呪縛のせいでしょうが、この父親と暮らせばいいじゃんというのはずっと映画中ついて回るんですね。


う何が起こっても、父親の元へ行けば万事解決じゃんと思ってしまうんです。子供に金をせびらせても、ラブホテルの屋上のテントで夜を明かしても、学校に行けなくても、住処を転々としても、なんで父親の方行かないのとしか思えないんですよね。この逃げ道を作ってしまったのは大失敗だなと思います。あんな中途半端に父親を出すなら、いっそのこと出さない方が良かったのに。


それに、この映画を観ていて「悲惨な目に合わせれば、堕落していけばリアリティが出るだろう」という思惑を感じてしまったのもダメでした。はっきり言ってそれは大間違いですからね。脚本上の怠慢、思考停止とさえ言えると思います。もしそういう展開にするなら、逃げ道はしっかり潰しておかないとダメです。不幸の押し付け、マッチレース、地獄めぐりは主人公がどうしようもない状況にないと、疑問ばかりが浮かんでしまうというのをこの映画を観て思い知らされました。


というかその描写自体も……という。これは完全に個人的な問題なのですが、映画っていうのはやっぱりいつ観るかというのが大きいと思うんですよ。私の場合はこの前日に『娘は戦場で生まれた』というシリア内戦のドキュメンタリー映画を観てしまってましたからね。もう爆撃は普通に映るわ、壊滅した都市が何度もインサートされるわ。銃痕、欠損、血まみれの連続ですからね。言葉を失ってしまうほどキツかった。


もちろん比べたらダメなのは分かっていますが、『娘は戦場で生まれた』と比べてしまうと、この映画がやってることはどうしてもフィクション、ひどい言い方をすればおままごとにしか映らないというか......。間違いなく今の私が観る映画ではなかったですね。せめて順番が逆だったらよかったかもしれないです。まあそれでもこの映画にはあまり良い評価は下せませんけど......。




あと引っ掛かったのが、周平による祖父母の殺害が物語の山場になっていることです。まぁストーリー的には良いとしても、ここで言いたいのは「なんで宣伝や予告編で殺害したって言っちゃったの?」ということです。え、どうして最大の山場をバラしたんですか?殺害するって分かってたら緊迫感も何もあったもんじゃないんですけど......。


いや、そっちの方が引きがあってお客さんを呼べるのは分かりますよ。でも、長澤まさみさんらの名前である程度お客さんは呼べそうな気はするんですけどね。予告編見ないで観たかったなとどうしても思ってしまいました。私だったら「親子の行く末は……?」みたいな煽りにするところです。現場の苦労も知らず生意気言ってすいません。でも、宣伝や予告編が映画の鑑賞体験に全くプラスに働かないのは由々しき事態だと思います。もっとどうにかできなかったんでしょうか……。




というわけでまとめると、『MOTHER/マザー』は、お話があまり良くないのを俳優さんたちの演技でどうにかしちゃっている映画だと私は感じました。もちろんそれで良い映画もあるんですが、この映画はそういうタイプの映画じゃないと思います。正直、全然ハマりませんでした。あぁ切ない。



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以上で感想は終了となります。映画『MOTHER/マザー』、お話はあまりお勧めできないのですが、俳優さんのファンの方には観て、損のない映画になっていると思います。ハマる人も絶対にいると思うので、興味のある方は映画館でご覧になってはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい






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