こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ミッドナイトスワン』。草なぎ剛さん主演のトランスジェンダーを題材にした映画です。ポスターや予告編に惹かれて観に行ってきましたが、これが想像以上の良作でした。全く文句ありません。感動しました。


感想を始める前に断っておくと、私はヘテロセクシャルの男性です。LGBT当事者ではないと自分では思っているので、もしかしたら誤解を招くような表現があるかもしれません。もし気になったらコメント等でご教授いただけると幸いです。


では、感想を始めます。拙い文章ですが何卒よろしくお願いします。




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映画情報は公式サイトをご覧ください。







近年、映画などで一大ジャンルとなっているのがLGBT(LGBTQAなどとされることもありますが、ここでは以下LGBTと表記します)を題材にした作品です。『ムーンライト』や『君の名前で僕を呼んで』、『カランコエの花』や『his』など洋の東西を問わず多数制作されているこれらの映画。最近ではNetflixに『梨泰院クラス』もありますね。LGBTに対する認識の高まりに合わせて、次々と制作されていますが、日本では言葉が独り歩きして、本当の意味ではあまり浸透していない様子です。


そんな最中、公開されたのが草なぎ剛さんがトランスジェンダーを演じた『ミッドナイトスワン』です。公開初日に観たところ、単なるLGBTの啓発映画にはなっておらず、美しいバレエシーンも交えた良作と言える映画でした。今年公開された邦画の中でもかなり上位に食い込んでくる映画ではないかと思います。かなり衝撃的なシーンもあり、ああまでして描いたことに覚悟を感じました。迷っているならぜひ観てほしい会心の一作です。






まず、この映画の最大の魅力は何といっても凪沙を演じた草なぎ剛さんと、一果を演じた服部樹咲さんにあるでしょう。特に草なぎ剛さんはトランスジェンダーという簡単ではない役どころを演じていましたが、淡々とした口調に情感がこもっていてとても良かったです。変に粘っこくすることなく、誇張することなく、凪沙というキャラクターがするような自然な仕草を心掛けていて、もう凪沙にしか見えなくなってきます。夜に一果と踊るシーンはこの映画でも屈指の名シーンでした


本来、草なぎ剛さんといえば日本を代表するような有名人で、顔が知られまくっているということは、役を演じるには不利なことではあります。ですが、草なぎさんは足の先から頭のてっぺんまで凪沙になっていました。


これはネタバレになるのですが、劇中で凪沙が髪を切って男性らしいルックスになるシーンがあるんですね。その見た目はもう紛うことなき草なぎ剛なのですが、観ているこちらからすれば、そこにいたのは凪沙なんです。何も喋らずとも、ああ凪沙だなと分かる雰囲気を醸し出していて、脱帽しました。主演であり、間違いなくこの映画のMVPです。


また、一果を演じた服部樹咲さんも素晴らしかったです。演技は正直最初は慣れているとは言い難いのですが、その変に慣れていない感じが一果の感じている疎外感を強く訴えかけてきていましたし、後半になるにつれて、演技も目に見えて上達していました。


そして、なんといっても見どころなのがバレエシーンですよね。内田監督が強くこだわり、また服部さん自身もいくつもの大会で優秀な成績を収めているだけあって、その踊りは見事としか言いようがありません。特にラストの二つのバレエは、祈るような気持ちが伝わってきて、音楽と合わさって思わず泣きそうになってしまいました。この服部さんのバレエだけでも2000円近くを払う価値はありますね。


他にも完全な毒親と化していた水川あさみさんや、一果の才能に心ひかれていく真飛聖さん。凪沙が働くクラブのママを演じた田口トモロヲさんに、どうにもならない苦しみを叫ぶ田中俊介さんなど、脇を固める俳優さんもしっかりと好演。特に注目してほしいのが、一果の友人・桑田りんを演じた上野鈴華さんですね。一果への嫉妬とも恋情とも似つかない感情や、両親への隠れた不満を繊細に表現していました。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。







さて、私がこの映画を観て何を感じたかと言えば「呪い」ということです。この映画ではさまざまな呪いが蔓延していました。そして、呪いにしているのが他ならない私たちだとも感じました。


一応、トランスジェンダーについて説明しておきますと、こちらのサイトによれば、身体的な性と自分が認識している性が異なる人たちのことを指す言葉だそうです。つまり、身体は男性なのに自分のことを女性と認識していたり、その逆もまた然りです。


近年、日本でもLGBTという言葉は広く認識されるようになってきました。多くの会社で上層部に講習がなされたり、SNSやYoutubeなどの発展で当事者の方の声が見えやすくなったり。でも、それは「LGBT」という言葉に対する理解だけであって、LGBTに属する人たちへの理解ではないように思えます


それを端的に表しているのが、凪沙が面接を受けたときに面接官から発せられた「最近LGBT流行ってますもんね」という言葉です。これは全くの失言で、そもそもLGBTと呼ばれる人たちは、そう名前がつくよりずっと前からいましたし、流行っているのはLGBTを題材にした作品です。


また、オカマオネエなどのざっと10年は古い言葉もクラブ内では飛び交っていますし、挙句の果てには凪沙は実の親戚から「化物」などと拒絶されてしまいます。本当はLGBTや性的指向は、短い眠りでも大丈夫だとか、たくさん食べても太らないだとかそういった人間の基本的な体質と何ら変わりのない次元のことだと私は思っているのですが(違っていたらごめんなさい)、それは本来呪いでも何でもなく、その人の生まれ持った特徴に過ぎないはずです。


でも、無理解やあっても浅い理解が、その基礎的な特徴を呪いとしてしまっています。LGBTがマイノリティで多数派じゃないから可哀想みたいな間違った驕りが、呪いとなってのしかかっているんですよね。上に挙げた二つのような体質を呪いだなんて思う人はあまりいないでしょう。でも、同じレベルにあるLGBTは呪いとされてしまっている。悪気のない残酷な言葉に耐えさせて、性欲処理の道具みたいにさせてしまっている。まだまだ私もそうですけど、社会の理解が足りていないんだなと痛感させられました。













私がこの映画の特徴として感じたのが、ありとあらゆるものが「呪い」となっているということです。血縁関係、ジェンダー意識、才能、若さetc...。この映画はどこを取っても、呪いだらけで物語が進むにつれてだんだんと辛さが増していきました。


まず血縁関係は、酒を飲んで育児放棄を繰り返す早織(一果の母親)と、一果の関係に分かりやすく代表されています。凪沙と時間をかけて育んできた信頼関係も、早織の登場によって一瞬にしてぺしゃんこに押しつぶされてしまうのはあまりにも残酷で、「呪い」としか言いようがありません。また、お金持ちで何一つ不自由していないように見える桑田家でも、りんは言い知れない不満を抱えて違法なバイトに手を出していました。こちらにも呪いめいた血縁関係が見え隠れしています。


また、ジェンダー意識もこの映画の中では鋭いナイフのように描かれています。「男だから力がなければならない」とか「子供を育てるのは母親」とか。映画では唐突に現れた早織が一果を凪沙の元から連れ出してしまいます。凪沙は以前から女性になりたいと願っていて(注射してたのはたぶん女性ホルモンだと思う)、実際に女性になりますが、そこには「女性になって母親にならないと一果と一緒にいられない」というジェンダー意識があったのではないでしょうか。「あなたの母親にもなれるの」というのは、この映画でも随一のつらいワードでした。


さらに、この映画の特色は「才能」や「若さ」といった一般的に見ればプラスのものでさえ、呪いになっているということです。一果には非凡なバレエの才能がありますが、その才能はバレエの先生や凪沙といった周りの大人たちを、その道一本に縛り付けてしまいます。


また、バレエにはお金が必要で、凪沙はそれほど裕福ではないため、一果はりんに紹介されて違法なバイトに手を出します。それはJCの撮影会。おっさんたちにカメラを向けられて、一果の表情は死んでいます。これもJCが性的消費をされていると考えれば、その若さは「呪い」ということさえできると思います。


つまり、この映画はLGBTを「可哀想な呪い」だと間違った理解をしている人に「それならあなたが信じてるあれやこれやも呪いだけど?」だと突き付けているんだと私は感じます。LGBTは何ら特別なことではないというメッセージですね。だから、そういう凝り固まった考えをしている人にこそ観てほしいなと。観て何かを感じ取ってほしいなと切に思いますね。



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これは比べるものではないのかもしれませんが、今年マイノリティ(とされる人)を描いた邦画として『37セカンズ』が挙げられます。こちらは障害をテーマにしているという大きな違いはありますが、描かれているのはどちらも「呪い」、具体的に言えば当人が感じている「呪縛」だと思います。


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ですが、この二作の方向性は全く異なっていて。『37セカンズ』はその呪いを解く方向に向かうんですね。話のゴールは「(脳性麻痺でも)私は私でよかった」という再認識ですし、母親との確執も解決されます。


しかし、『ミッドナイトスワン』では、何の解呪も訪れません。早織が卒業式に出ている描写はありますが、血縁関係という呪いはそのまま残っていますし、凪沙も現実と自己認識のズレを解決できていません。特に、りんがあんなことになったのに全く一果たちには知らされず、そのまま触れられないで終わるのはなかなかにショッキングです。


きっとこれには現実の状況が反映されているんでしょうね。バリアフリー化が進み、数十年前と比べると車いすの方でも少しは暮らしやすい環境になったのに比べ、LGBTへの理解はまだまだです。ネグレクトも依然として残っています。そんな状況下では、安易な解呪はきっとできなかったのでしょう。そう考えると、惨憺たる気持ちにさせられます。数年後にはこの映画が現実離れしたほど悲惨なものとみなされるくらい、LGBTが特別視されない未来が来ると良いなと映画を観終わって思いました。




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以上で感想は終了となります。映画『ミッドナイトスワン』、真面目な映画ですが、バレエなどの見せ場もあり重くなりすぎず、絶妙なバランスを保っていた印象です。草なぎ剛さんをはじめとした俳優陣の演技も素晴らしいので、興味がある方はぜひごらんください。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


ミッドナイトスワン (文春文庫)
内田 英治
文藝春秋
2020-07-08




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